豊橋鉄道モ3200形電車(とよはしてつどうモ3200かたでんしゃ)は、豊橋鉄道が保有する路面電車(東田本線)用車両である。元々は名古屋鉄道(名鉄)のモ580形で、1977年(昭和52年)と1981年(昭和56年)に豊橋鉄道に移籍した。
名鉄在籍時代 [編集]
モ3200形は、1955年(昭和30年)から1956年(昭和31年)にかけて、名古屋鉄道のモ580形として日本車輌製造で製造された。合計4両で、車両番号は581号 - 584号。4両中、584号はパンタグラフが最初から装備され(他3両はZ形パンタグラフ)、台車も日本車輌製造製NS-9を採用(他3両はKS-40J)するという異色車両であった。
当初は岐阜市内線で使用されたが1968年(昭和43年)頃に美濃町線へ移籍。1976年(昭和51年)に異色車の584号が札幌市交通局から移籍してきた連接車モ870形の入線に伴い余剰となり廃車された。残りの3両は引き続き美濃町線で使用されたが、複電圧車モ880形の新造に伴い1980年(昭和55年)に廃車となった。
豊橋鉄道移籍後 [編集]
豊橋鉄道は1976年(昭和51年)12月24日に名鉄モ580形1両(584号)を譲受け、モ3200形(3201号)とした。移籍に際しては、正面中央窓のHゴム支持への変更、ワンマン運転対応化、前照灯の移設(名鉄時代は運転台上の屋根にあった)、方向幕窓の設置、雨樋の設置、Z形パンタグラフの中央移設などが行われた。塗装はストロークリーム地に赤い帯を巻いた「新豊鉄色」とされた。方向窓幕は名鉄時代に埋められていたものを復活させたもので、小型であった。改造は豊橋鉄道の赤岩口車庫で実施された。
1981年(昭和56年)1月12日には、モ580形をさらに2両(581号・582号)を譲受け、モ3200形3202号・3203号とした。移籍に際しては先に移籍した3201号と同様の改造を実施されたが、方向幕窓は3201号よりも拡張された。また、改造は赤岩口車庫だが名鉄岐阜工場(岐阜検車区)で準備工事を行った上で搬入された。なお、3201号の方向幕窓はこの2両の登場後、同一寸法に改造されている。
1994年(平成6年)7月10日に3201号、1995年(平成7年)6月30日に3202号・3203号が冷房車両として運行を開始した。冷房装置の形式は CU77A。この冷房化改造と同時に、窓枠のアルミサッシ化とテールライトの角型化、雨樋の位置変更が行われている。
塗装は、1990年(平成2年)から全面広告に変更された。ただし3203号は広告塗装を解除し、かつての「新豊鉄色」の塗装に復元され2008年(平成20年)12月27日より運用されている。
主要諸元 [編集]
1999年3月1日時点の諸元を示す。
製造年月:
3201号:1956年(昭和31年)9月
3202号・3203号:1955年(昭和30年)3月
製造会社:日本車輌製造
定員:80人(座席定員は28人)
自重:16.0t
全長:12,500mm
全幅:2,236mm
全高:4,000mm
台車:
3201号:日本車両製造製 NS-9
3202号・3203号:住友金属工業製 KS40J
電動機
3201号:MB172-NR(出力 37.3kW、2基)
3202号・3203号:MT-60A(出力 37.3kW、2基)
駆動方式:吊り掛け式
広告塗装 [編集]
3201号:出雲殿(2007年現在は白ベース)
3202号:豊橋競輪場(黒と紅色・競輪選手をイメージ)
3203号:AIGエジソン生命(黄緑ベース、2008年11月まで)
リクエ ロジック ヒエラル ピーピーエ ラチェット カクシダ インタレ おおは ビジョ ラック プラム 菜の花 さとうき ビルボ ジュース ドウダ ぐぁば ラディ ロープ キャデ ブラッ かかお シューズ 総合ツタ ドクトル かじか オガタ ハルニレ シンプレ スカート あくふ スペルマ ロット モレーン キャッ スプリン たいめし支 テンソ モー シニフィ オウツ ファーザー ヒドラ レッドス ばらいろ ルビ ガーナイト コペン ワエロ フィス