1336年(建武3年)に足利尊氏が室町幕府を創立すると、畠山家はこれまでの功績によって越中・河内・紀伊の守護に任じられた。足利家の内紛である観応の擾乱では、庶流の畠山国清は足利直義方に付くも後に尊氏方に鞍替えして家勢を保ち、その一方で畠山家嫡流の畠山高国・畠山国氏父子は滅ぼされてしまう。本来の嫡流である奥州畠山家が衰退する中で、国清の家系(河内畠山家)が畠山家の惣領格となる。彼は関東管領に任命されて東国で南朝方と戦うが、その後鎌倉公方の足利基氏と対立して東国から追放された。国清はそのまま没落するが、国清の弟の畠山義深がのちに守護に任命され畠山家を再興させる。義深の子・畠山基国は1391年の明徳の乱で功績を挙げるなどして足利義満の信任を受け、能登の守護を任されるなど守護大名として力をつける。1398年には管領に任じられ、同じ足利一門の斯波武衛家や細川京兆家とともに三管領家として名を連ねる家柄となった。基国の子・畠山満家は義満には冷遇されたが、足利義持の代になってから表舞台に復帰して管領に就任する。満家の子・畠山持国(徳本)は、将軍権力の強化を目論む足利義教の干渉に苦しめられる
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が、畠山家の内紛を鎮めて細川家や山名家と拮抗する勢力を維持した。しかし、持国の子・畠山義就と養子・畠山政長との間で家督をめぐっての激しい争いが起き、それが後の応仁の乱の一因になった。応仁の乱の終息後も政長と義就との対立は続き、細川京兆家の干渉などもあって河内畠山家も衰退の一途をたどり、支配地の守護代や被官の自立や下克上を促す結果となる。
越中は守護代の神保氏に奪われ、河内も度々守護代の遊佐氏に脅かされたが、紀伊だけは最後まで勢力を保った。江戸時代においては旗本や高家として数家が残った。